光あれ |
---|
光あれ(ひかりあれ)は、聖書『創世記』の冒頭部、1章3節にある文言である。 「光あれ」はヘブライ語の原文 (''yehi 'or'')に相当し、ギリシャ語では (''genēthḗtō phôs'')、ラテン語ではやと翻訳されている。これは創世記の天地創造の物語の一部である。 ラテン語の"''fiat lux''"や英語の"''Let there be light''"は、慣用句として広く使われている。また、カリフォルニア大学など多くの教育機関のモットーとして使われており、これは「光」を「知識」のメタファーとして用いているものである。 ==翻訳== ヘブライ語聖書において、()というフレーズは2つの単語からなっている。 (''yəhî'') は「存在する」という動詞の三人称男性単数現在形であり、 (''’ôr'') は「光」を意味する。 コイネーによる七十人訳聖書では、第1章第3節は「」(—)と翻訳されている。ここで「」は、「」(~となる)の命令形である。 ギリシャ語訳を最初にラテン語に翻訳した古ラテン語聖書では、「lux sit」(光を存在させよ)となっており、このフレーズは今日でも使用されることがあるが、その訳の正確性については議論がある。 カトリック教会の標準ラテン語聖書であるウルガタでは「fiat lux」と訳されている。「fiat」は「行う」または「作る」の意味の動詞「facio」の三人称数 (文法)|単数現在形受動態接続法の形であり、文字通りには「fiat lux」は「光が創造されよ」という意味になる。英語によるドゥアイ・リームズ聖書では、ウルガタから「Be light made. And light was made.」(光が創造されよ。そして光が創造された)と訳している。欽定訳聖書では「Let there be light」となっている。 日本語においては、『舊新約聖書』(文語訳聖書)で「神光あれと言たまひければ光ありき」と翻訳され、『聖書 口語訳』をはじめとする口語訳聖書|口語訳においても「光あれ」という翻訳は維持された。 ウィキペディア(Wikipedia) |