電気グルーヴ |
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『662 BPM BY DG』でインディーズデビュー。その後、1991年にシングル「RHYTHM RED BEAT BLACK (Version 2.0)|RHYTHM RED BEAT BLACK (Version 300000000000) / TM NETWORK|TMN VS 電気GROOVE」でメジャーデビュー後、アルバム『FLASH PAPA』で本格的にデビューした。シングル「N.O.」や「Shangri-La (電気グルーヴの曲)|Shangri-La」などのヒット曲で知られる。初期の2年間は比較的メンバーの入れ替わりが多かったが、続く8年間は結成以来の石野と瀧に砂原良徳を加えた3人で活動し、安定した人気を築いた。砂原の脱退後は二人での活動が続いている。 ディスコやテクノポップ、ダンスミュージックから、テクノ (ダンスミュージック)|テクノ、エレクトロニカ、環境音楽|アンビエントまで幅広い電子音楽の意匠を音楽的特徴としている。結成当初はボーカルスタイルにラップの方法論を取り入れていたため、ヒップホップグループに分類されることも多かったが、1993年のアルバム『FLASH PAPA MENTHOL』のリリース以降、より純粋に電子音楽を主体としたスタイルへと移行する。また日本国内での活動と並行して1995年にベルリンのからシングル「虹 (電気グルーヴの曲)|虹」をリリースし、以降はメイデイ (音楽イベント)|MAYDAYへの参加など外国でのリリースやライヴ活動も精力的に行う。シュトックハウゼンの『光』で見られるような「被り物」をメンバーが行う ことも活動初期からあり、電子音楽の先人へのリスペクトがみられるのも特徴の一つである。 一方、前身となったインディーズバンド「人生 (バンド)|人生」に代表される、かつてのナゴムレコード周辺の「ナゴム系」バンドに見られるユーモア、ジョーク、パロディ、ギャグによって真意を隠すスタイルも受け継いでおり、主にコミックソング系の楽曲に見られる特異な歌詞とパフォーマンス、発言の数々は音楽性と並んでサブカルチャー的な支持を集めている。一方で石野が細川ふみえや篠原ともえをプロデュースした際の可愛らしい歌詞や、最高売り上げ記録を持つシングルにして唯一のラブソング「Shangri-La (電気グルーヴの曲)|Shangri-La」などの普段とは方向性が異なる表現も存在する。 メンバーはソロ活動も並行して行っており、石野は前述の篠原ともえのプロデュースや、世界最大規模のレイブ (音楽)|レイヴ・ラブパレードでのDJプレイ、ゲーム作品のBGMなども制作。砂原良徳は在籍中にリリースしたソロデビュー作『CROSSOVER』が非常に高く評価された。瀧は映画『中野裕之|ステレオフューチャー』や『ローレライ (映画)|ローレライ』で重要な役柄を演じたり、漫画雑誌『週刊少年チャンピオン』で連載していた『樹海少年ZOO1』の漫画原作を担当する(作画は漫☆画太郎)などタレント業・映像面で活動した。 ウィキペディア(Wikipedia) |