武藤礼子 |
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『TV洋画の人気者 声のスターのすべて』近代映画社、1979年、pp.122-124。武藤礼子インタビュー。飛び飛びではあるが、主に放送関係の仕事を行っていた。 東京家政学院中学校・高等学校|東京家政学院高等学校卒業後はNHK新人オーディションに合格し、日本放送協会|NHKや民間放送のラジオドラマに出演。テレビ草創期の頃は舞台やテレビドラマなどで女優としても活動していた。 21歳の頃、海外ドラマ『パパは何でも知っている』の吹き替えに出演し、8歳の娘であるキャシーを演じる。この時、収録現場の見学に来た男の子から「なんだ、(吹替えているのは)女の子と思ったらおばさんか」と眼前で言われたことにショックを受け、以降は役のイメージを大切にするため顔出しの出演をやめると同時に、声優業に専念する。1977年時点ではアテレコ、アテ屋と言われるのが、嫌いだったという。 その後、テアトル・エコー、マウスプロモーション|江崎プロダクション、クリエイティブオフィスZ、NPSテアトル に所属し、亡くなるまでは青二プロダクションに所属していた。 2006年10月29日午後3時21分、急性心不全のため東京都世田谷区の病院で死去。。 2009年に第3回声優アワード特別功労賞を受賞。 ウィキペディア(Wikipedia) |