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森久保祥太郎


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☆評価☆名前/タイトル歌/曲年代
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
森久保祥太郎LIGHT of JUSTICE2021年


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森久保祥太郎
『メジャー (アニメ)|メジャー』(茂野吾郎)、『NARUTO -ナルト- 疾風伝』(奈良シカマル)、『弱虫ペダル (アニメ)|弱虫ペダル』(巻島裕介)などがある。

== 来歴 ==
小学2年生の時に隣に住んでいた英語演劇の教員から「近くに住んでいるお兄さんお姉さんも来るから遊びにおいで」と誘われて、習い事感覚で英語演劇を始める。その習い事は演劇を通して英語に慣れ親しむことが目的だったが、英語よりも芝居の楽しさに目覚めてしまい、それ以来、芝居を続けていたという。

小学校時代の頃の夢はC-C-Bに憧れ、C-C-Bのように髪を将来染めて、「きれいに立つような髪型にしたいなあ」と夢見ていたという。小学3年生の時に、通っていた体操教室を辞めたところ太ってしまい、友人に「コロコロ太った短足祥ちゃん」と呼ばれていたという。小学校時代で得意であった科目は「点数がいい」とすごく褒めてくれた教師であったことから、まんべんなく頑張っていた。しかし体育と音楽がダメであったという。

父の出身地の福島県にいた父方の家族が楽器を演奏しており、祖父は太鼓、祖母は琴、父もギターやトランペットを演奏していた。小学2年生の時、掛け算を覚えるのに、父から「イエロー・マジック・オーケストラ|YMOの『ライディーン (YMOの曲)|ライディーン』に合わせて踊って覚えろ」と言われた。それが楽しく「音楽にのる」というのを初体験していたような気がしていたという。そんな父方の家族を見て育ったため、「子どもの頃から人前でなにかするっていいなあ」と思い、中学時代からバンド (音楽)|バンドを始める。中学時代は軟式テニス部の部長を務めた。

高校3年生になる頃に、「将来何になろう」と考えていた時に漠然と「芝居か音楽がいいな」と二択で悩んでいた時期があったという。高校時代に音楽をしていた大学生の先輩とも付き合いがあり、身近な先輩がバンドでメジャーデビューをしていた。先輩たちが音楽を仕事にしていたことを見て「大変そうだな」、「音楽は好きだけど仕事にするとやりたくないこともやんなきゃいけないのかな」と思っていたという。自己分析をして、森久保の強み、弱みをあらゆる角度から分析した上で、音楽よりもお芝居のほうが評価を得てきたこと、のめり込んでしていた森久保自身に気付き、「だったら音楽は一生遊びでやっていけばいいや。じいさんになっても、友達集めて楽しくやれればいいや」、「音楽は好きだけど自信はないから、趣味として一生やっていこう」と考えるに至っていたという。

しかし役者で食べていける自信があったわけでもなかったという。それまでの人生で何が一番楽しかったか、辛い事があっても何を一番頑張ったかをしっかり分析し、「そこから役者をやろう、25歳まで全力で目指して、それでダメなら別の道に行こう」と役者の道に進む覚悟が決り、大学に通いながら役者を志す。その頃に影響を受けた役者は西村雅彦。

1992年、日本大学第三高等学校卒業、多摩美術大学映像制作コース中退。

本格的に声優を始める前はタレント事務所に所属し、小学生のころに在籍していたラボ・パーティの先輩の三島ゆたかと立ち上げた劇団「おにぎりスキッパーズ」の舞台がきっかけで「セリフのデモテープを録らないかって言ってるんだけどやる?」と三島が間を取り持ってもらっていた。その時は「役者で食うぞ!」という気持ちはあり、声優の経験はなかったが、「とりあえずやってみよう」と思い、アニメ用のデモテープを自宅で音楽用の録音機材で録音して「こんな感じですか?」と声優事務所の人物に渡していたところ気に入ってもらい、ラジオCM、TVCMのナレーションに出演。偶々オーディションを受け、『爆走兄弟レッツ&ゴー!!』のミニ四ファイター役で1996年に声優デビュー。同作は1年で最終話を迎えるはずであったが、予想を超えた人気から長期作品になったため、後に所属することになる声優事務所の社長に「うちで、本格的に声優やらない?」と言われて、役者時代世話になった事務所から声優事務所に移籍。以後、アニメ (日本のアニメーション作品)|アニメ、コンピュータゲーム|ゲーム、ラジオパーソナリティ、音楽活動、舞台など様々な分野で活動している。

シグマ・セブン在籍後、アーツビジョン系列事務所「ヴィムス」に移籍。

1998年、声優の石川英郎と共に「あんず」(森久保が唯一食べられた果物に由来)というユニット名で音楽活動を始める。1999年、バンドメンバーを加えバンド (音楽)|バンド「AN's ALL STARS」を結成。同年8月、別のバンド「Mosquito Milk」を結成。

2001年、カプコン セルピュータレーベルよりソロデビュー。2008年、ランティス|Lantisより再デビュー。毎年末に開催される「Original Entertainment Paradise“おれパラ”」ではホストの一人としてライブを披露している。2010年、ソロプロジェクトとして「Buzzy→Bee(バジービー)」結成。

2007年2月に同じく声優の浅川悠と結婚したが、2年後の2009年1月に離婚。その後、2014年7月に一般女性と再婚したことが発表された。

2015年1月、bayfm長寿番組『KEIYOGINKO POWER COUNTDOWN JAPAN HOT 30』の2代目DJとして就任。

2016年、第10回声優アワードで富山敬賞を受賞。

2018年8月31日、ヴィムスを退所。同年9月1日、株式会社アドナインスを設立し、その代表取締役として就任している。

2020年、第14回声優アワードでパーソナリティ賞を受賞。

ウィキペディア(Wikipedia)
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