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弘田三枝子 [1件]
弘田三枝子
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☆評価☆
名前/タイトル
歌/曲
年代
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
弘田三枝子
レオのうた
1965年
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弘田三枝子
弘田 三枝子
(ひろた みえこ、本名:
竹永 三枝子
〈たけなが みえこ〉、1947年〈昭和22年〉2月5日 - 2020年〈令和2年〉7月21日)は、日本のポップス、歌謡歌手。愛称は、
MICO
(ミコ)。
歌唱力とパンチの効いた歌声で、洋楽をカバーした和製ポップスを歌ってヒットをさせ、和製R&B娘とも評された。後のミュージシャン(都はるみ、南沙織、大瀧詠一、山下達郎、竹内まりや、桑田佳祐ら)に多大な影響を与えた。
== 経歴 ==
世田谷区立三宿小学校の生徒だった頃から劇団こまどりに入り、幼稚園の頃AFN|FENのラジオに魅せられて歌手になることを決意。母の協力のもと、7歳の頃から自らの意思でティーブ・釜萢の「日本ジャズ学校」に週1回バスで通い、英語の発音の基礎からスパルタ教育を受け、8歳から進駐軍のキャンプで歌っていたともいい
、駒沢学園女子中学校・高等学校|駒沢学園女子中学校の1年生の頃からは本格的に進駐軍キャンプでポピュラー音楽|ポップスやジャズなどを歌っていた
。曲を提供されて自分の世界にもっていくために、家での練習(本人曰く「小稽古」)の際、歌詞を理解してメロディーを体に入れてから(本人曰く「儀式」)、自ら考案した記号を譜面に記載したうえで、自ら歌唱したテープを確認し歌をものにしたうえで収録に臨んだという。この儀式は、レコードデビューからラストシングル収録まで続けられたという。ジャズで鍛えたスキャットを得意とし、決まった和音|コードの中で様々な絵が描けるので、あらかじめ決めないでスリルを感じながらその場でスキャットを奏でて楽しんでいたという。
晩年まで、空き時間に最新曲をiPodで聴き漁るなどして、採り入れ、学ぶ姿勢を失わなかったという。自らの歌唱待ちの舞台袖で椅子をすすめられても勉強になるといって立ったまま他の歌手の唄に耳を傾ける姿や、自ら先輩に良くしてもらったことを理由にスタッフをはじめ後輩らにも謙虚な姿勢で接する姿は、多くの同業者・スタッフに好意的に受け止められていた。
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